公開 2017年07月24日(月) 20:00 面白い観点からのペルソナ5に関するコラムがあったの一部抜粋してご紹介します gamespark
https://www.gamespark.jp/article/2017/07/23/74764.html
『ペルソナ5』の海外高評価と“ジャンルとしての”JRPG
『ペルソナ5』の“自然主義的”リアル
『ペルソナ5』の強みは、異世界に対して「こんなのありえない」という違和感を堂々と表現できることにあります。にもかかわらず、それに対しリアリティを感じるのは、とてつもない時間をかけて背景を描くことで、「キャラ」ではなく「キャラクター」として物語にとどまっていることがひとつの理由です。そしてもうひとつが、「ありえない」異世界との対比により、現実世界の「あるあるネタ=既視感」を「データベース」ではなく、「自分の経験」に近いものと錯誤する、つまり、ペルソナの物語を自然主義的な物語だと認識してしまうからだと思います。
「JRPG」という観光地
賛辞の言葉が並ぶ海外レビューには、同時に「JRPG」という言葉も溢れています。別の記事で「JRPG=日本のRPG」ではなく、JRPGとは「西洋によって後進性、不変性、奇矯性、官能性といった性質を付与され類型化された“異質な”日本のRPG」とのことだと書きました。
『ペルソナ5』はどうか。写実的リアルと差別化されたビジュアルや、ボーカル入りのサウンドトラック、テンポが良く戦略的な戦闘などの特徴の一方で、ベースとなるゲームデザインは数十年前と変わっていません。海外レビューの、本作は“Innovate(革新)”ではなく“Polish(洗練)”である―というのは的確な指摘だと思います。
世界観においては、オリエンタルな“観光地”のように「奇矯性、官能性」を帯びており、ゲームシステムにおいては、RPG黎明期から変わらない「後進性、不変性」を維持している。つまり『ペルソナ5』は、見事なまでにJRPGである、というのがわたしの考えです。
JRPGという「ジャンル」へ
かつて揶揄され、今は賞賛される。これはいずれも「JRPG」の固定化・ジャンル化の表れです。すでにJRPGはひとつのジャンルとして扱われていますが、『ペルソナ5』の人気によって、さらに具体的に「JRPGは、シンボル/ランダムエンカウント、コマンド入力式のターンベース戦闘、紙芝居ダイアローグ、アニメ風のキャラクターデザイン、雑駁な世界観といったものがあるジャンル」なのだ、という見方になるのではないか、という懸念がわたしにはあります。
ゲームの進化にともなって、ゲームデザインやゲームシステムも進化する、というのは空論であり、求められるなら数十年前と変わらない古びたゲームシステムでも全然OK。むしろそういったRPGの伝統を守る役割を「JRPG」は求められている―。そうなったとき日本のRPGは、革新的なRPGに挑戦できるのか。あたかも、話題の観光地が観光客の視線を先取りして、本来の姿を超えて「伝統ある観光地」としてふるまうように。
「Re FANTASY」はペルソナへの対抗だ!
アトラスが発表した『PROJECT Re FANTASY』は、「画一的な王道RPG」「溢れかえる幻想世界」への対抗を謳っていますが、実は、同じアトラスの『ペルソナ』への対抗なのではないか。邪道としてのペルソナの位置を確保するために、原点回帰、ゼロからのファンタジーという正道の作品が必要だったのではないか、と考えています。もちろんこれは筆者の勝手な憶測に過ぎません。日本のRPGの「ジャンルとしてのJRPG化」。そこでは海外からの視線によって可能性が制限され、日本のRPGの多様性が奪われる、というのがひとつの見方です。一方で、日本のRPGが評価されたということは事実であり、「革新」はなくても現代的な「洗練」がなされることで、後進性、不変性といったネガティブなものが反転し、「伝統」という別のものになったという言い方もできます。ただし、日本のRPGが硬直化していく、という最悪の可能性も残されていると思っています。全文はこちら
全文は量がありますので、お時間がある時にどうぞ。『伝統を守りながら洗練させていった』という言葉には胸が打たれました。今後のペルソナシリーズやPROJECT Re FANTASYもこういう視点で見てみると面白いかもしれませんね!